変態でも問題ない職業はあるのか

写真の転載とサイトの存在が問題だったと、罪についてはそのことだけを口にした。渡辺は頑なだった。そんな渡辺の潔癖に、わたしは好感さえ抱いた。この男は自分の変態にきちんと向き合っているし、これからも向き合い続けていくのだろう。このさき受ける処遇や処罰からも、逃げる気はまったくないのだろう、と思った。その姿勢に感動し、境遇に心から同情した。変態、それそのこと自体は罪ではない。けれど人は偏見を持つ。

この発想はなかった。ニュース記事しか読んで無いけれど自分なら動画を見てもそこまでの想像力は働かなかったと思う。

子どもの死体写真を多数掲載し、扇情的で侮辱的なコメントをつけていた。遺族が事故の悲惨さを伝えるために開設したHPなどからの転載もあり、また自身が撮影した児童の水着写真なども置かれていたいう。渡辺は小学校の教師だった。

自分はクラブきっず報道を目にした時、この部分だけに注目し「こんな変態が教職についていたとは!」と憤り「教員免許を剥奪するべき」と思うだけだったが背景には一般的でない性癖に対する偏見があったと思う。偏見って言葉だとじゃあ今はどうなんだって話になるな。全ての変態=犯罪者のような思い込みかな。実際は誰が何に興奮を覚えようと想像しているだけなら自由で罪とされるような行動を取らない限り犯罪者ではないという当たり前の事実が抜け落ちていた。

ただ、言い訳を抜きにしてもそこまでの発想に至らない事は仕方ないとも思う。現代では塾講師が生徒を刺殺したりするなどありえない事件を起こす人間がいるので死体写真に執着しているうちにエスカレートして死体を創り出してしまう人間もいるのでは?という発想に至り、憶測だけで過剰なまでに非難されてしまうという図式はごく自然な流れ。そこで変態が一線を越えずに踏みとどまれる人間かどうか見極めるなどという困難な作業を考えるよりは前段階で思考を遮断して一方的に排除してしまう方が合理的だからだ。

変態教師ゆえ変態的な教育を施しているかもしれないという勝手な憶測も憶測でしかないけれど可能性としてありうるので職業も非難する際に加味され、そしてまた過剰に非難されてしまう要因なんだろう。そう考えると変態が教職に就くという事は変態本人にも生徒にもリスクが高いわけでじゃあ一体どんな職業だったら問題ないのだろう?

自分は教育関連事業に携わりたいと思っているけれど再検討した方が良いのかもしれない。死体にも幼児にも興奮しないけど自分が変態じゃないなんて断言出来ないわけで。ってこれが答えか。