- 作者: エレナ・ポーター,村岡花子
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1986/01
- メディア: 文庫
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訳が奇妙で読みにくい部分もありましたがすごく面白かった。チェスが将棋と訳されてて脚注までついてるような時代だから現代の翻訳物より読みにくいのは仕方ないのかもしれない。1962年の訳だもんなあ。
事前に知っていた通りパレアナは何でも良い方へと解釈するのですが序盤のうちは鬱陶しい!現代だったら皮肉が得意な女の子って思われそう。序盤から2点ピックアップ。
・叔母さんの家に引き取られる事になったけれど駅まで迎えに来たのは使用人
→叔母さんが迎えに来なかった事が嬉しい。会う楽しみが残っているから
・絵も鏡もない殺風景で粗末な屋根裏部屋を与えられて
→鏡がなければソバカスが見えないから嬉しい。窓から見える景色はどんな絵よりも素晴らしい
どっちも嫌味にしか聞こえないよw
まあ全編を通してパレアナはこんな感じなんですけど慣れて来るとなかなか悪くない。街で有数の富豪・ペンデルトンが絡んでくるあたりからだんだん面白くなって来ました。ペンデルトンの印象は街の人から見ると良くないんだけどパレアナから見ると悪く見えるのは外側だけだという事になる。悪く見える人が実は良い人だったという話は古今東西よくある話ですがペンデルトンに関して言えばパレアナがいなかったら変わらなかった感じがします。
終盤にチルトン医師の恋愛が成就し患者の重い怪我も治ってしまうなど典型的なハッピーエンドストーリーなんですがストーリー自体は決して嫌味じゃなくて素直に受け止められた。
途中で牧師が悩んでるシーンは印象的でした。教会の役員が愚にもつかないことで争っていたり聖歌隊は独唱が同じ人ばかりに割り当てられる事に不満を感じて分裂したりと醜い争いが続いていた。議論をしてもダメ。頼んでもダメ。戒めてもダメ。放置してもダメ。なんという八方ふさがり!業を煮やした牧師はマタイによる福音書23章を説教のテキストとして決めようとします。キリスト教の知識はマンガで引用されてたら稀に気づく程度なのでよくわかりませんが恐ろしい句だそうで最後通告みたいな感じと受け取りました。
そこでパレアナです。パレアナの亡父もまた牧師だったので父親のエピソードをフォード牧師に語るわけですがこのパレアナパパがすごい。パパパレアナは聖書に喜びの句がなかったら1分だって牧師を続けられないと言う。800ぐらいあるらしいんですけど喜びの句って何だよ、と思ったらパパパレアナはツラくて苦しい時に数えたそうです。聖書の中に楽しめとか喜べとか何度書かれているのかを。
どんだけツラかったんだよパパパレアナ!
パレアナとフォード牧師は神様が800回も喜べとか楽しめとか言ってくれてる事に希望を見出してましたけど自分はパパパレアナの苦しみを想像して悩んでるのは俺だけじゃないんだ!と前向きになれました。まあ現代は世知辛いのでパレアナみたいな考え方は賛否両論でしょうね。あと良い意味でお節介な使用人のナンシーが好き。
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