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イルカ裁判再び!なのか

イルカがどんだけ殺されてるのか調べようと思っただけなのに迷路に迷い込んだ。うへー。以下、強調は全て引用者。

反捕鯨運動をしているEIAによれば1シーズンで2万頭にも上るイルカが捕殺されていると言う。

キッカケはこの部分。2万頭って日本国内なのか世界全体なのか知りたかったんだけど結果から言うとわかんなかった。

ざっとしか調べてないせいもあるけど正解は誰もカウントしてないからわかりようがないって事な気もする。そもそも漁獲高ってどうやって算出してるんだろう?出荷量であるなら混獲で捨てられた場合は数字に残りようがないよなあ。

毎年1億匹ものサメやエイ類が漁具に引っかかり、捨てられていると考えられています。以前は多くのイルカが混獲されていたマグロ漁業では、イルカの混獲は減ってきたものの、依然として多くのサメが混獲されています。網に捉えられて逃げ切れず、死んでゆくクジラやイルカも毎年30万頭に上ると推定されています。

グリーンピースのサイトではこんな感じ。やはり推定。もちろん推定だから実際はそんなに無いよというのではなく推定漁獲高の全てが食用じゃないねって確認。そうだよなあ。俺も食べた事ないし食用で売ってる事すら知らなかったもの。見たこと無い=漁獲高が少ないって見方は危険だけど。

でまあ食用に獲っている分だけが問題かっていうとそういうわけではないらしい。その辺は約30年前に事件があったようだ。

かつて、長崎県の壱岐を舞台にした「イルカ裁判」が繰り広げられたのを記憶している人は居られるでしょうか。1980年、まだ25年前のことです。

長崎でイルカ裁判があったのか!内容はこんな感じ。

ブリやイカの好漁場だった壱岐島の周辺海域をイルカに荒らされ、深刻な被害を受け続けていた漁民がイルカを包囲して海岸に追い込み、飼料などにするため囲い網に捕獲しておいた……のですが、動物愛護団体のアメリカ人が囲い網のロープを切断してイルカを逃がしたという事件の裁判です。

これだけ読むと「漁師さんの悩みも考えないでまったく!」と思う。

例えば、壱岐島でイルカの囲い網を切ったデクスター・ケイトの話(※)も、結論だけ取り出せば、デクスター・ケイトの主張(=漁獲量の減少はイルカのせいではなく乱獲のせいであり、イルカは漁場を荒らしていない)が正しく、漁師たちはタコが自分の足を食べるように、自分たちの将来を食べてしまった(イルカと関係なく、壱岐の漁獲高は激減した)わけだ。

けど反対意見を読むと「ちょっともう漁師さん何してんの!」と思う。

確かに、デクスター・ケイトは、壱岐の漁師のことも、そしてイルカのことも真剣に考え活動し、結果として網を切ってイルカを逃がした。その善意に疑いを挟む余地はない。とは言え、越えてはならない一線を越えたことも間違いない。同時に、壱岐の漁師も愚かさ故にイルカを駆除しようとしたり、乱獲による漁獲量の激減を招いたわけではない。そこには、産業としての漁業が持つ構造的な問題があることを忘れてはならない。

なんだよ産業としての漁業が持つ構造的な問題ってメンドクサイ世の中だなー。イルカ裁判の追跡はここまでにします。あ、ちなみに現在の壱岐(2年前の記述ですが)はこんな感じらしいです。

現在、壱岐ではイルカの保護が進み、イルカとふれあう施設が設けられていたりして、世界中から注目を浴びたイルカ裁判の頃とは隔世の感がある筈です。

となると壱岐では漁業が持つ構造的な問題ってやつは解消されたって事なのかな?じゃあ今回舞台となった和歌山県の太地町(たいじちょう)も解消されて良いと思うんだけど何とかならないかね。

個人的にはイルカを食おうが犬を食おうがそういう食文化なのかぐらいにしか思わないけどもっと考えるべきなのかな。確かに小さい子からこの手の質問をぶつけられると困るよね。おとぎ話っぽく逃げるしか出来てないな。もう少し読んでみるか。

イルカは、西欧文化圏の人々にとっては古代ギリシャ・ローマ時代から神話や民話、聖書などで親しんできた動物です。全く別のいい例は、インドにおけるウシ……インド人にとってウシは聖なる動物であって、食べるために牧場に囲って育てて殺すなどとんでもないこと……だからです。

しかしここで、また別の問題が生じます。たしかに「文化・歴史」の違いは大きい……けれど、遠く日本までやってきて「イルカを殺すな」と漁網を切るのはアメリカ人であり、インド人は決して北海道の牧場を襲ってウシを解放などしません。

  Q それでは、もしもインド人がアメリカ西部の牧場へ行ってウシの解放運動をやったとしたら?
  A それは自由ですからやればいいでしょう。
  Q いや、運動だけじゃなくて、牧場の柵を破壊して、ウシを追い散らしたとしたら?
  A ………。

……この回答もまた、彼らの口からは出てきません。しかし、もし仮にアメリカの牧場の柵を破壊してウシを逃したら、そのインド人はまず確実に(リンチで)殺されることになるでしょう……

ほー、実際どうすんだろね。リンチは言い過ぎだけど何してんだコラァ!とはなるだろう。松坂牛を追い散らされたら日本だってなるだろうー。

それでは、壱岐の漁民の論理と倫理はどのようなものだったのでしょうか。これは実に単純明快であって、「イルカは漁の敵だから」という一言に尽きます。当時の記録に、漁業職員の次のようなコメントがあります。


「かつてのイルカは群でやって来たから、それをやり過ごせば何とかなった。今は操業中の各漁船の周りに分散して二、三頭ずつ”専従”し、掛かったブリやイカを狙う。ある船が豊漁か不漁かを左右する最大の要因は、今や”専従”のイルカが付くか否かになってしまった。イルカ追い込みで捕獲した後は、二日間ぐらい明らかに漁獲量が増える」


「漁民の生活がイルカにおびやかされている実体が、なかなか判ってもらえない。イルカと我々と、どっちが可哀想なんですかね。殺したくて殺す訳じゃなし、追っ払う方法を色々試みたが駄目だった。アメリカの海岸へでもみんな連れてってくれ、と言いたいね」

確かに虐殺やめろ!だけじゃ何ともしがたい問題っぽいなー。理屈としては日本の漁師側の言い分が通ってる気がするんだけど当時の日本では世界中から叩かれたそうだ。リンク先にそのあたりも書いてあるので興味ある人は是非。んで今回も当時と同じ流れになんのかなあ。

あー、裏取ってないどころかちょろっとしか調べてないのにすごい疲れた!愛・蔵太の少し調べて書く日記はすごいなー、と実感出来たエントリでした。