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親の呼び方のはなし

雑記

先日ものすごい久しぶりに親父と会った。色々あって離れて暮らしているので心配していたが見た目は健康そのものだった。あくまで見た目は。

話してみると以前会った時より厭世観で満たされていて精神的には死んだも同然といった感じで心配は増した。以前ならばそんな姿を見せられたら失望し憤りを感じ家族だけど家族だからこそ客観的に現状の打開策を細かく指示し喝を入れてやろうと思ったかもしれない。けれどそうしなかった。

裕福ではないけれど何一つ不自由ない生活を送らせてもらったので父には非常に感謝している。でも現状の不幸を招いたのはどう贔屓目に見積もっても父の不勉強が最大要因なので安易な同情は出来ない。小さいながらも会社を経営してたので学歴は無いけれど父には何らかの才能あるって子供の頃はずっと思ってた。でも実態は周囲の善意に支えられてただけの人だった。失脚寸前に気づいてあれこれと指示を出したけれど結局間に合わず現在に至る。当時は今の自分が部下や後輩を叱る時よりもはるかにひどい罵倒を父に浴びせた。その事が間違っていたとは思わないが結果として好転していないので正解ではなかったのだろう。

伝えるべきは今までの感謝なのではないかと思った。あれやこれやと指示したりするのは決して父親をバカにしているからではない。無計画なやり方を続けてくじけて欲しくなかった。問題の比較検討材料を集める事が苦手ならば息子にアウトソーシングしたっていいじゃないか。最終的な判断は自分で下せばいい。そういう意味でもっと自分を利用して欲しかった。けれどそれは俺からの視点であって父からどう見えているのかはわからない。そしてこの想いをどう伝えるべきか悩んだ。感謝の気持ちを示すのに長ったらしい説明は嘘くさい気がした。

「父さん、俺は父さんを信じてる」

悩んでた割にあっさり言葉が出た。自分は中学ぐらいから父のことを父さんと呼ばなくなった。年頃の気恥ずかしさだと思うがオトンとかオヤジとかに変わりアンタと呼ぶことさえあった。今なら言える。今だから言える。曲がりなりにも俺をここまで育ててくれたのは父さんや母さんなんだ、と伝えた。気のせいかもしれないが父の瞳に生気が宿った。

そうだ。父さんという呼び方には尊敬の念や感謝の気持ちが詰まってるんだ。そう呼ぶだけで世界はきっと変わる。