福祉に対する心構え

ここんトコちょっと嫌な事があって、いや嫌な事というか考えても考えても正解が出せない事があって悩んでた。むしろ合理的な正解は見えていてそっちに転がるのはラクだからそっちに転がりたい。でもそれで良いのかと自問自答したり人に相談したり。到底そうは見えないだろうけどw

で読みたいエントリとかも読み飛ばしちゃってた。ちょっと前ならブクマしてた記事も「斜め読みじゃブクマコメントも書きにくいし・・・」なんて躊躇ってた。けど良くないぞと思い直しましてちょっとずつリハビリ!的にこちらの記事をブクマした。

そしたら次のエントリでそのブクマコメントを取り上げてくれてた。これねー、俺からするとすごい威力だった。破壊力と言ってもいい。俺はそのエントリに大したブクマコメントを書いてないんですよ。なのにsatomiesさんが名前呼んでくれただけでウジウジ悩んでたくだらない壁がズガァァアン!って崩れた。言われてないけど「よ!久しぶり!元気してたかコノヤロウー」って街中で声をかけられた感じ。32歳にもなった男をうっかり甘えたい気分にさせるとは・・・!銀座とかで言われてる魔性の女なんてエセですよ。ガチ魔性の女はこういうエスパーっぽい事*1を平然とやってのけるんだッ!

そもそも子どもや教育関連の問題は興味先行で大した知識があるわけじゃないんだから構えてもしょうがねえだろっていう元のスタンスに戻れました。ありがとうございます!

回復させてもらったので調子に乗って言及しちゃう。

「これこの事情認めようよ」って声に出して言う人は「じゃ、アンタその分やってくれる?」ってのが必ず回るからね。

全文引用したいぐらい濃い内容なので詳しくは直接読んでもらいたいんですけど自分は読んで「うはー!」ってなった。

確かにその通りだ。仕事だって「今度からこの申請はこの手順でやりましょう」みたいな事を言い出せば「やってもいいけど雛形はオマエが作るんだよな?」みたいな流れになりやすい。まして近所の繋がりが希薄になっていると言われる現代で子どもの学校関連の当番では尚更なんじゃないか。

福祉って、なんかすごくいいことって感じがするんですよね。選挙のときの公約ってヤツに福祉がどうのって出てくると、いい人みたいな感じがする。福祉を学ぼうとする人も多いんだと思う。

 でも。じゃあ、隣にいる人の福祉のために、みんなちょこっと我慢してくれませんか?ってことになると、途端に福祉だ、わー、みたいな勢いがしゅんしゅんしゅんって小さくなるとこってあるなあと思うんですよね。

この部分は仕事でのそういった事に当てはめるとすごく想像しやすい。

もちろん仕事で提案する時は誰かの為なんかじゃなくて自分の為である事が多いわけで「ええ!もちろん私がやりますよ!ていうかもう作っちゃったんですよねw」なんて流れだ。こんなの出来るに決まってる。ところが福祉となるとこれがものすごいハードルになる。

甘えついでに失礼を承知で言いますと自分がその立場(手を差し伸べる側)でまず考えてしまうのは川で溺れてる人を助けようとして一緒に溺れて亡くなってしまう人だ。

いや助けた事は無いんですけどね。毎年必ず夏場にそういう親切な人が亡くなるじゃないですか。どう考えたって泳ぎが得意だから助けに行ってるはずなのに。溺れてる子どもは誰かが救助しに来ると死に物狂いでしがみつくから泳ぎが得意な人でも溺れちゃうって聞いた事があります。それとダブる。安易な気持ちで手を差し伸べて「ああ、この人は助けてくれる人なんだ」なんて思われたらどうしよう。事あるごとに頼られたらどうしよう。最後は自分まで溺れちゃうんじゃないか!

などとまで連想してしまう。今年なんて家族で来ていたお父さんが他人の子供を助けて自分だけ亡くなったって事故がありましたよ。すごく立派なお父さんですよ。非常に立派なんだけど残された奥さんの気持ちを考えるとものすごく複雑です。

で、思った。一人でやろうとするから問題なんだ。川で溺れる子も福祉で助けが必要な人も一人で助けようとするから難しい、難しく感じるんだ。まあこの考え方に辿り着いたところで実行するのはまた別問題で難しいけれどそういう考えが新たに自分の中へと加わったのは嬉しい。少しずつなら手を差し伸べられるけれどたくさんは無理!って親切を躊躇ってる人はまだまだたくさんいると思う。そんな人たちを見つけ出して頑張ろうっと。

*1:この場合はサイコメトリー