イルカ裁判再び!なのか

イルカがどんだけ殺されてるのか調べようと思っただけなのに迷路に迷い込んだ。うへー。以下、強調は全て引用者。

日本は本当に年2万頭のイルカを殺している?

捕鯨運動をしているEIAによれば1シーズンで2万頭にも上るイルカが捕殺されていると言う。

痛いニュース(ノ∀`) : 「イルカは心優しい動物。殺される理由ない」 人気女優ヘイデン・パネッティーアらが日本のイルカ捕殺に抗議→漁師たちと海上でやり合う - ライブドアブログ

キッカケはこの部分。2万頭って日本国内なのか世界全体なのか知りたかったんだけど結果から言うとわかんなかった。

ざっとしか調べてないせいもあるけど正解は誰もカウントしてないからわかりようがないって事な気もする。そもそも漁獲高ってどうやって算出してるんだろう?出荷量であるなら混獲で捨てられた場合は数字に残りようがないよなあ。

追記:2万頭ではなく1.3万頭

水産庁が設定した捕獲枠が2万頭だっただけで実際2万頭では無かったが日本だけの数字ではあった。

水産庁は全国のイルカなど小型鯨類の捕獲枠を8道県に設定している。2007年の捕獲枠は計約2万頭だったが、実際に捕獲されたのは約1万3千頭。20年前の約3割に減少した。捕獲枠のある青森、宮城、千葉各県の各担当者は「漁師の廃業が止まらず、捕獲枠はあるが10年ほど前からイルカ漁はしていない」と異口同音に話す。

イルカ漁論争、困惑する和歌山・太地 - 日本経済新聞

混獲の数字も含む

毎年1億匹ものサメやエイ類が漁具に引っかかり、捨てられていると考えられています。以前は多くのイルカが混獲されていたマグロ漁業では、イルカの混獲は減ってきたものの、依然として多くのサメが混獲されています。網に捉えられて逃げ切れず、死んでゆくクジラやイルカも毎年30万頭に上ると推定されています。

http://www.greenpeace.or.jp/campaign/oceans/yil/our-oceans/bycatchGreenpeace | 混獲
(リンク切れ・ウェイバックマシン)

混獲―解決すべき漁業の環境課題― |WWFジャパン

グリーンピースのサイトではこんな感じ。やはり推定。もちろん推定だから実際はそんなに無いよというのではなく推定漁獲高の全てが食用じゃないねって確認。そうだよなあ。俺も食べた事ないし食用で売ってる事すら知らなかったもの。見たこと無い=漁獲高が少ないって見方は危険だけど。

イルカ裁判(長崎県壱岐)

でまあ食用に獲っている分だけが問題かっていうとそういうわけではないらしい。その辺は約30年前に事件があったようだ。

かつて、長崎県壱岐を舞台にした「イルカ裁判」が繰り広げられたのを記憶している人は居られるでしょうか。1980年、まだ25年前のことです。

日々是日記 イルカと漁民

長崎でイルカ裁判があったのか!内容はこんな感じ。

漁師さん視点

ブリやイカの好漁場だった壱岐島の周辺海域をイルカに荒らされ、深刻な被害を受け続けていた漁民がイルカを包囲して海岸に追い込み、飼料などにするため囲い網に捕獲しておいた……のですが、動物愛護団体アメリカ人が囲い網のロープを切断してイルカを逃がしたという事件の裁判です。

日々是日記 イルカと漁民

これだけ読むと「漁師さんの悩みも考えないでまったく!」と思う。

デクスター・ケイト(環境活動家)視点

例えば、壱岐島でイルカの囲い網を切ったデクスター・ケイトの話(※)も、結論だけ取り出せば、デクスター・ケイトの主張(=漁獲量の減少はイルカのせいではなく乱獲のせいであり、イルカは漁場を荒らしていない)が正しく、漁師たちはタコが自分の足を食べるように、自分たちの将来を食べてしまった(イルカと関係なく、壱岐の漁獲高は激減した)わけだ。
※漁場を荒らす害獣であるイルカを駆除するために捕らえ、網の中に囲っていたものをデクスター・ケイトが夜中に網を切って逃がした事件。裁判にもなった。デクスター・ケイトの弁護のためにピーター・シンガーが来日している。

川端裕人のネイチャーライティング (1) - いつも寝不足 (blog版)

けど反対意見を読むと「ちょっともう漁師さん何してんの!」と思う。

確かに、デクスター・ケイトは、壱岐の漁師のことも、そしてイルカのことも真剣に考え活動し、結果として網を切ってイルカを逃がした。その善意に疑いを挟む余地はない。とは言え、越えてはならない一線を越えたことも間違いない。同時に、壱岐の漁師も愚かさ故にイルカを駆除しようとしたり、乱獲による漁獲量の激減を招いたわけではない。そこには、産業としての漁業が持つ構造的な問題があることを忘れてはならない。

川端裕人のネイチャーライティング (1) - いつも寝不足 (blog版)

なんだよ産業としての漁業が持つ構造的な問題って。あちらを立てればこちらが立たずって話か。長くなったのでイルカ裁判の追跡はここまでにします。

現在の壱岐(2005年)は何もしてないのに解決状態

あ、ちなみに現在の壱岐(2年前の記述ですが)はこんな感じらしいです。

現在、壱岐ではイルカの保護が進み、イルカとふれあう施設が設けられていたりして、世界中から注目を浴びたイルカ裁判の頃とは隔世の感がある筈です。

日々是日記 イルカと漁民

壱岐では勝手に魚もイルカも激減して解決したみたくなってるけど今回舞台となった和歌山県太地町(たいじちょう)もそうならない限り解消されないって事か。

かわいい動物を食べる事に対する忌避感vs各国の食文化の尊重

個人的にはイルカを食おうが犬を食おうがそういう食文化なのかぐらいにしか思わないけどもっと考えるべきなのかな。確かに小さい子からこの手の質問をぶつけられると困るよね。おとぎ話っぽく逃げるしか出来てないな。もう少し読んでみるか。

インド人はアメリカの牧場で柵を壊して牛を逃がさないのに何故アメリカ人は他国でイルカを逃がすのか?

イルカは、西欧文化圏の人々にとっては古代ギリシャ・ローマ時代から神話や民話、聖書などで親しんできた動物です。全く別のいい例は、インドにおけるウシ……インド人にとってウシは聖なる動物であって、食べるために牧場に囲って育てて殺すなどとんでもないこと……だからです。
 
しかしここで、また別の問題が生じます。たしかに「文化・歴史」の違いは大きい……けれど、遠く日本までやってきて「イルカを殺すな」と漁網を切るのはアメリカ人であり、インド人は決して北海道の牧場を襲ってウシを解放などしません。

Q それでは、もしもインド人がアメリカ西部の牧場へ行ってウシの解放運動をやったとしたら?
A それは自由ですからやればいいでしょう。
Q いや、運動だけじゃなくて、牧場の柵を破壊して、ウシを追い散らしたとしたら?
A ………。

……この回答もまた、彼らの口からは出てきません。しかし、もし仮にアメリカの牧場の柵を破壊してウシを逃したら、そのインド人はまず確実に(リンチで)殺されることになるでしょう……

日々是日記 イルカと漁民

ほー、実際どうすんだろね。リンチは言い過ぎだけど何してんだコラァ!とはなるだろう。松坂牛を追い散らされたら日本だってなるだろうー。

それに対する壱岐の漁師たちの言い分と正当性

それでは、壱岐の漁民の論理と倫理はどのようなものだったのでしょうか。これは実に単純明快であって、「イルカは漁の敵だから」という一言に尽きます。当時の記録に、漁業職員の次のようなコメントがあります。


「かつてのイルカは群でやって来たから、それをやり過ごせば何とかなった。今は操業中の各漁船の周りに分散して二、三頭ずつ”専従”し、掛かったブリやイカを狙う。ある船が豊漁か不漁かを左右する最大の要因は、今や”専従”のイルカが付くか否かになってしまった。イルカ追い込みで捕獲した後は、二日間ぐらい明らかに漁獲量が増える」


「漁民の生活がイルカにおびやかされている実体が、なかなか判ってもらえない。イルカと我々と、どっちが可哀想なんですかね。殺したくて殺す訳じゃなし、追っ払う方法を色々試みたが駄目だった。アメリカの海岸へでもみんな連れてってくれ、と言いたいね」

日々是日記 イルカと漁民

確かに虐殺やめろ!だけじゃ何ともしがたい問題っぽいなー。
 
理屈としては日本の漁師側の言い分が通ってる気がするんだけど当時の日本では世界中から叩かれたそうだ。リンク先にそのあたりも書いてあるので興味ある人は是非。んで今回も当時と同じ流れになんのかなあ。

あー、裏取ってないどころかちょろっとしか調べてないのにすごい疲れた!愛・蔵太の少し調べて書く日記はすごいなー、と実感出来たエントリでした。