情報リテラシー教育って大変だ

数週間前、フィルタリングベンダの方に話を聞いてなるほどと思わされたのは、子どもに有害コンテンツとかフィルタリングの話をしても仕方ないのであって、ひとつだけ教えるべきは「ネットで何をやってもみているひとがいるよ」ということを伝えることなのだという。これは正しい気がする。ネット上で無法なことをできる背景に、自分が匿名の何者かであるという安心感があるのだろう。実際問題として、その期待は決して正しくない。

よく躾の問題で出てくるのが家庭から外に出た際の注意方法だ。「そんな事をしたらお店のオジサンに怒られちゃうよ」とか「静かにしないと隣に座ってるオバサンが怒るでしょ」とかが良くないっていう"怒られるからダメしつけ法"がある。何がいけないのかを説明してないのが問題と言えば問題なので俺もまあ悪いというか良くはないかなあぐらいには思う。「ネットで何をやってもみているひとがいるよ」という言い回しは"見られてるからダメしつけ法"と言い換えると似たような危うさを感じる。なんでもかんでもフィルタリングよりはるかにマシだけどね。

悪い事をしたら断罪というか咎められて当然だと思うので「見てる人がいるからネットでぶっ殺すって書いちゃいけないんだ」という解釈をされるのは問題だろう。ただし、この"怒られるからダメしつけ法"は細かく説明しても伝わりにくい幼児なんかには手っ取り早いとは思うので絶対ダメとは思わない。引用した場面も小2と5歳に教えるとしたら、な話なのでそういう意味ではないだろうし今はそういう説明だけに留めておいて10歳超えるとか中学生になったタイミングでさらに補足していくのがベターなんだろうなあと思う。

問題なのは見ている人がリアルとネットでは数も性質も大きく異なるという点だと思う。俺が子供の頃にネットは無かった。だから見てる人は自分の生活圏内にいた。にしかいなかった。これがものすごく大きな違いなのにあまり理解されていないと言うか浸透していない気がする。自分の生活圏内にいる人と言うのはある程度かもしれないが自分の事を色々と知っている人なのだ。親兄弟の事も知っている可能性が高い。そうなると同じ「ぶっ殺す」という発言でも文脈があった上で耳に入って来るので受け止め方が違う。ネット上で殺人を示唆した場合に「あらあら反抗期なのね」などと本気で言う人は少ないだろう。文脈がないのに解釈など出来るわけが無い。つまり本人たちがメリットと思っている匿名という部分に足をすくわれる形だよね。教えるべきはその辺りでリアルより解釈や意思疎通にギャップがさらに生じやすいよって事なのかもしれない。