人生をグラフ化するという考え
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まぁそれでも死ぬまでは生きていくしかないわけで、強かろうが弱かろうが、生きていかなきゃいけないことだけは決まっているわけでまぁだったら笑ってるほうがいいよね。幸せになろうって考えてるほうがいいよね。憎しみなんか忘れて、つらかったことなんか忘れて、そんなものに時間をとられるのはやめて、前に進んで生きたいよ。僕はそう思う。消えなくても、みないでいることはできるし忘れていくこともできるんだ。
牛蒡 憎しみなんつーものは多分知らなくていい
「自分の人生が幸せかどうかなんて死ぬまでわからない」「死に際に振り返って初めてわかるものだ」などと人はよく言うし自分も言った事があると思うし今でもそうなんだろうなあと思っている。
感覚としての1年の重さ・濃さというものは年齢に反比例する
16歳にとっての1年は32歳からすれば2倍希釈されているのだ。だから高校時代に辛かった1年を32歳になってから振り返ると思っていたほどに大した事じゃなかったと思える。むしろ会社に酷使されてる今の方が辛いとかな。未体験ゾーンだから確証は無いが今の辛さも倍の64歳になってから振り返ると辛さに対する耐性も備わってるだろうし温い悩みに思えるんだろうな、と。
ここでいきなり株価チャートの話
株価チャートってのは切り取る期間によって見え方が変わる。実在のデータを使っているので参考例として都合よくカスタマイズされてないけれど下にあるグラフと株価チャートを人生の浮き沈みだと思って見て欲しい。
常に人生80年から俯瞰する習慣
てな具合で若い人が今まさに直面している危機や不安は人生80年から俯瞰してみれば案外大したこと無いのかもしれない。もちろん晩年になって「あの時が人生の一番辛い時期だった」と思い返す可能性もある。けれど最も辛い時期だったと振り返れるという事はそれ以下が無いという事なのだ!「ホント?じゃあこれ以上に辛い事はもう起こらないのね!」「そうだよ!だからこの契約書にサインを!」
うん、そんな簡単にサインしちゃダメだよね。あくまで後でわかるってだけなんでなかなか難しいと思う。最後に日本人ならおそらく誰でも知っているであろう企業を2つ紹介してみる。
大器晩成型
若い頃は地味な人生じゃった。けども今は多くの孫に囲まれて幸せですじゃ。
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まとめ
どっちの人生が良いとかではない。だいたい企業には生物のような寿命がない。てか無理矢理登場させたお爺ちゃん達の物差しがそもそも微妙に違っとる。あと株価は企業の優劣を必ずしも示さない。じゃ何で出した…。
何だろうなあ。俺は悲惨な話ほど結末で大どんでん返しがあるんじゃないかと思って読むのを止められない性質だから辛い事があっても乗り越えて行けるのはそのせいかもなあ。おい神様!もしいるとしたら俺の晩年は相当に幸せなはずだよな!おい!聞いてんのか!辛い事なんて皆無と言っていいほど無いけど頼むよ!